
頭取・執事ベルが、海外への随行という一度きりの仕事を振り返ります。プライバシーに触れぬ範囲で綴る、国境を越えたおもてなしと、旅の空の下で学んだことの記録です。

ごきげんよう、あなた様。執事のベルでございます。今日は、これまでの執事人生でも一度きりの、海を渡ったお供の話を、差し支えのない範囲で綴らせていただこうと存じます。どなたのご依頼であったかは、当然ながら生涯申し上げることはございません。それが執事の第一の務めでございますゆえ。
その旅は、数日にわたる海外でのご滞在に随行するものでございました。執事の仕事と申しますと、邸宅の中で静かに立っている姿を思い浮かべる方が多いかもしれません。けれど一歩国を出れば、勝手は何もかも変わります。言葉が違う、時間の流れが違う、食事の作法が違う。そうした異国の地でお客様に平生と同じ心地よさを差し上げること――それが随行という仕事の核心でございました。
わたくしがまず心を砕いたのは、下調べでございます。訪れる国の気候、宗教上の慎み、食の禁忌、そして何より、その土地でお客様が「気を抜いてよい瞬間」がどこにあるか。旅先で人が最も疲れるのは、実は観光でも移動でもなく、「気を張り続けねばならぬこと」でございます。ですから随行者たるわたくしの役目は、お客様が安心して肩の力を抜ける小さな余白を、一日のあちこちに用意しておくことにございました。朝のお茶の一杯、慣れぬ土地での一言の通訳、部屋に戻られたときのわずかな静けさ。そのどれもが、事前に整えておくべきものでございます。
旅の空の下で学んだことがございます。おもてなしとは、豪華な設えのことではなく、「その方が、その方らしくいられる時間」を守ることなのだ、と。国が変わっても、言葉が変わっても、その一点だけは決して変わりません。むしろ勝手の利かぬ異国でこそ、執事という存在の値打ちが問われるのだと、身をもって思い知らされた数日間でございました。
お客様が無事に日本の土を踏まれ、「行ってよかった」と静かに仰ったとき、わたくしはようやく肩の荷を下ろしました。あの一言のために、執事は海をも渡るのでございます。長い便りになりました。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

ひとつ書き添えておきたいことがございます。この随行という仕事は、決してわたくし一人の手柄ではございません。出発の前から、名簿の執事たちが手分けして下調べを重ね、留守を預かる者が邸を守り、そうして初めて成り立つ仕事でございます。玄関で日々お客様をお迎えする者がいるからこそ、わたくしは安心して海を渡れる。執事の仕事は、いつでも見えないところの支え合いでできているのだと、あらためて思うのでございます。

執事ベル(石井 裕一)
ハウススチュワード+頭取
「執事は選ぶ時代へ」——本物のおもてなしを、あなたの人生に。

